真性 自然釉陶

【自然による施釉】
薪で焚かれた高温の窯の中で、巻き上がった炎によって灰が器に降り掛かり、溶けてガラス質になる。これが自然釉陶である。
灰を釉薬に仕立て、人為的に掛けて焼く方法とは違い、素地をそのまま窯に入れる。窯の中で渦巻く炎と灰と熱風によって自然と施釉される。従ってどこにどうかかるのか、どれだけかかるのかは窯から出すまで分からない。同じ窯の中であっても場所により、またひとつの器であっても上下裏表内外では違った表情になる。

【焼締とは違う自然釉陶】
陶器には、焼成前に釉薬を掛けて焼く「施釉陶」と、釉薬を掛けないまま焼く「無釉陶」がある。
古く、東南アジアで焼かれた南蛮焼の無釉のものや、須恵器、中世陶器(瀬戸は除く)のように、施釉せずに高温で焼く事を一般的に「焼締」と言う。
これらは堅牢で水漏れしないものの、自然釉のかからない茶褐色や黒灰色のものや、灰が溶け切れていないものが多い。稀に偶然、美しい自然釉のかかったものもある。

これを、粘土、薪の種類、窯の焚き方等によって調節し、玉垂れになった美しい自然釉の陶器を焼成するのが『自然釉陶』であり、焼き締めとは一線を画する。自然釉陶は焼き締めよりもさらに高い温度で焚かれ、それによって炎が灰を大量に巻き上げ、たっぷりと釉がかかる。

【人為と自然の融合】
古来日本人はこの自然の景色を楽しみ、また人為と自然の統合を追求して来た。自然釉陶はおよそ自然の手によるものではあるが、陶工はここに様々な工夫を凝らし、景色を作り出して行く。自然だけではなく、また人為だけでもない。人と自然が時にせめぎ合い、時に溶け合う。

その時、人の我は余剰となる。衒い、外連味、野心。果ては個性やオリジナリティの追求すら危ういものとなり得る。陶工に必要なのは技術や才気だけではない。器と共に自らを薪に焚べ、我を焼き切るような気迫と覚悟。それが伴ってこその自然釉陶であろう。
